ぷもも園

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「宇宙が広がってないか?」膨張宇宙説を唱えた知られざる天才物理学者の物語

 

 

膨張宇宙説は現在では学校の教科書にも入っちゃってるような天文学界からの信頼が太すぎる説ですがその発表当初は懐疑的な意見が多数派を占めていました。

 

当時の物理学の権威たちは揃ってこの膨張宇宙説を「あ〜ダメダメダメ!」と真っ向から否定したのです。

 

当時の物理学において最高頭脳と讃えられたガバルディ・アイ〜ンシュタインもこの説に対して「ヒクヒクしてるw」「キモ(罵倒)」などの彼らしい極めて論理的なシーチキンの太さを見せつけました。

 

この苦境に一人で立ち向かった天才がいました。

 

それがハイットゥリ・ハイトゥルです。

 

1919年1月9日にドイツで生まれた彼は幼い頃よりその類い稀な才覚を示し、「こいつ相当変態(的な天才)だな」とその将来を嘱望されていました。

 

そして1941年9月に22歳の若さで「宇宙が広がってないか?」という論文を発表し独創的な膨張宇宙説を展開、瞬く間にその斬新かつ太すぎる理論が天文学界の話題となりました。

 

そしてこの論文が起爆剤となり、各国の研究者たちが研究を深めた結果、数年後には膨張宇宙説が定説となりました。

 

当のハイットゥリはその後、一つの業績も残さないまま忽然と姿を消しました。

 

その失踪の真相は長年の間に渡って謎とされてきました。

 

しかし今年に入っちゃってからハイットゥリに関する様々な記録が彼の生家からホラ出ちゃったよ(新発見)。

 

その資料の中には彼が学界を追われるまでの経緯が克明に記されていました。

 

ハイットゥリの研究者はこういうの(新資料)で興奮すんの?

 

 

 

ハイットゥリはナチスドイツの狂信的な支持者でした。

 

彼は日頃から「ハイルハイル」を口癖にしていたという証言があり、その傾倒ぶりが伺えます。

 

そして彼は遂にナチスドイツの禁断の作戦に関わっちゃったぁ!

 

彼はナチスによって引き抜かれ、精鋭研究者たちを集めた通称「太い部屋(有名Flash)」と呼ばれる極秘軍事研究機関に配属されました。

 

太い部屋では連合軍に対抗しうる秘密兵器が日夜研究されていました。

 

そして遂に彼らの開発した兵器であるF.C.O.H は最前線で使用されるに至りました。これはのちのICBMの原型とされていて、ICBMの名前はこのFCOHを基にしていることは非常に有名です。このFCOHの特徴はなんといってもその太さにあります。太すぎるため、当時のドイツで使用されていた打ち上げ装置オムァンコが壊れちゃうなどのトラブルも発生しました。改良に改良を重ね遂にFCOHは実戦投入されるようになりました。

 

のちに巨根肉弾戦と呼ばれることになるこの戦いはこの新型兵器が功を奏し、(敵陣の)穴を広げました。ハイットゥリ自身も兵器の現場監督を務めるなどの大括約を見せました。カンディル攻略作戦では包囲され絶体絶命に陥った自軍を「ホラ、編隊親父征くぞ」と鼓舞し見事脱出、カンディルの占領に成功しました。

 

その後もハイットゥリは太い部屋の首脳メンバーの一員として様々な新型兵器の開発に取り組みました。

 

しかし、ナチスドイツが敗れたことで彼の運命は一転します。

 

彼は軍事研究によって大量殺戮に関与したとして軍事裁判の対象となったのです。

 

そして遂に彼は裁判にかけてください3という言葉(通称かけくだ3)を発しました。

 

ハイットゥリは法廷で一貫して無罪を主張し、関係者に対し、「変態親父」「スケベ親父」などの暴言を浴びせたという記録が残っています。

 

しかしその裁判の終わりの頃には

 

「許して亭許して!」など一転して許しを乞うような発言が見られたとの証言もあります。

 

長引く裁判のうちに、精神に異常を来した彼はとうとう女の子になりました。一説には肛門膣化症候群を発症していたとされています。

 

その後、彼はかろうじて無罪放免となったものの、研究職への復帰を禁じられました。

 

ハイットゥリはその後、現場監督として働き、74歳で鬼籍に入っちゃったぁ!

 

 

彼が晩年に遺した言葉をもって本稿を終えたい

 

 

 

「もっと感じてみろよ(宇宙の神秘)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガバ穴ダディーのTシャツについての考察【緩次郎学】

 

先日、とある知人からある依頼を受けました。

 

コスプレをしたいのだが服の種類がわからない。君ならこのキャラクターに関して詳しいと思うから一緒に考えて欲しい。

 

私はその申し出を快諾しました。そして何のキャラクターのコスプレをするのか、できれば写真付きで教えて欲しいと返信しました。

 

私のメールに対する大返信(激寒)には以下の画像が添付されていました。

 

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緩次郎さん・・・!

 

この謎のTシャツに関する情報がいっぱいいっぱい欲しいということでした。

 

私はすぐに「ちょっと待っときや、今(情報)入れてやるからな?」と返事をしました。

 

 

 

Tシャツの謎を解く手がかりは胸のところにある二つのロゴに注目するよりありません。

 

ちなみにこのロゴくん、もはやダディー音MADお馴染みになった以下のBBでもちゃんと切り抜かれているためそれなりに知名度は高いようです。

 

 

 

ガバ穴ダディーにふさわしいガバガバさが受けたのか引っ張りだこのBB。特にMADに使用される際にはこれまたガバガバな編集が施され、素材のガバガバさと編集のガバガバさが織りなす映像美に多くの視聴者が魅了されてきました。

 

ちなみにこのBBや使用されているMAD内でもしばしば胸のところの切り抜きが必要か否かについて激しい論争が繰り広げられているようです。

 

さて本題はこのロゴが何者であるかということです。

 

向かって左側はASICSと書かれているのが判然としていますが肝心の右側のロゴは不明瞭です。

 

右側のロゴを拡大した画像がこちら。

 

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赤色の丸い円の下に三つの輪が見えるのが確認できます。

 

これは一体何のロゴなのか。

 

ああでもない、こうでもないと19.419時間、寝る間も惜しんで考えた結果次のような閃きが生まれました。

 

三つの輪は五輪すなわちオリンピックマークの一部なのではないか?

 

もしそうであるならばメーカーがASICSであるのも合点がいきます。

 

こうしてオリンピックロゴに関する調査が始まりました。

 

ガバ穴ダディーの発売は2005年ですから2004年のアテネオリンピック関連のものと推測しました。

 

そしてオリンピック公式ロゴを調査したもののアテネオリンピックのロゴとは違うようでした。

 

しかし他のオリンピック関連のロゴを丹念に調査していった結果、ついに目的のロゴにたどり着きました。

 

そのロゴはオリンピック日本代表のマークエンブレムでした。

 

詳しくは以下のオリンピック公式サイトから確認できます。

 

 

www.joc.or.jp

 

 

そして次にヤフオクに類似品の出品がないか調査しました。

 

色違いですが あ    り    ま    し    た

 

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オリンピック支給品との説明書きがありました(ガバ穴ダディーはオリンピック出場者だった?)

 

そして今年の10月、遂にヤフオクでそのものを発見するに至りました。

 

 

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おっ・・・おっぱげた!!

 

2500円でガバ穴ダディーになりきれるなんて安いもんです。

 

しかしこれ以外の出品例は見つかっておらず、ガバ穴ダディーに大変身したくてもしきれないいわゆるガバ穴ダディー難民が懸念されます。(色違いは現在も出品されているので細いシーチキンで満足するような妥協主義的な方はそちらを購入されることをお勧めします)

 

ガバ穴ダディー難民は大変身を許されず、普段の真面目で優しい教師の姿に留まることを余儀なくされた結果、ぷももえんぐえげぎな状態に陥ることが懸念されています。さらにこの状態が悪化するとおんもえになり、最終的にはちょっちょっちゃっさという恐ろしい結末を見ることになるでしょう。

 

私は知り合いに対して結局分からなかったという旨の回答を出しました。

 

これには理由があります。

 

見た目だけガバ穴ダディーに変身しようとしてもそれは意味の無いことだからです。

 

本当のガバ穴ダディーになるためには精神的な鍛錬を経て、心から太いシーチキンを望むような精神状態に至らなくてはなりません。

 

その上でこのTシャツを着ることで真のガバ穴ダディーに大変身できるのではないでしょうか。

 

人は人を真似しようとすると兎角、外面に拘泥しがちです。しかし本当に大切なのは内面を磨くこと、つまり中を気持ちよくモコモコの状態にすることです。

 

そのためには普段からいっぱい気持ちすることを心掛け、常に感受性を全身に分布させることが重要なのではないでしょうか。

 

(2018/11/23、一部のダディー表記(変換ミス)をガバ穴ダディー表記に更新)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぷもも園の中熟年十番勝負(第一回、「中年離婚組」)

 新企画としてこのようなタイトルのコーナーを初めてみました。

 

内容としてはBB素材淫夢wikiでまとめられていないようなマイナーな中熟年ビデオを十本視聴し、それに関する寸評を付すというものを予定しています。

 

既に何本かの作品を視聴したのですが、注目されていない作品だからと言ってつまらないということはなく、無加工の本編でもかなり面白いものが散見されました。

 

そしてこの中熟年というジャンルの奥の深さを改めて実感しました。

 

それらの眠っているキャラクター達が日の目を見る日もそう遠くはないのかもしれません。

 

また、もしかしたら私がこれから紹介していく作品群の中から近い将来、現監やダディーのような一線級のキャラクターと肩を並べるような人材が現れるかもしれません。

 

素材探しは地道な作業です。阿鼻叫喚の映像と音声に圧倒されなんども心が折れかかりました。

 

しかし苦労が伴うのは当然です。我々はこの豊饒なるホモビの大地に光り輝く一個の原石を彷徨っている

 

燦然と光るダイヤモンドの原石はもしかしたら一つもないかもしれません。しかしもしもその原石をたった一つでもこの手で探り当てられたのならば、これに勝る幸福はないでしょう。

 

 

 

今回ご紹介する作品は「中年離婚組」メーカーは泣く子も黙るサムソンビデオ。

 

登場するのは二人のモデル。

 

一人はクロちゃんと武田信玄淫夢)を足して2で割ったような独特の風貌を持つキャラクター、もう一人は某真面目部長を15歳くらい若返らせたような感じといえば伝わるでしょうか。

 

50分の作品のうち、序盤の数分はちょっとしたインタビュー。とはいえ身長や年齢を聞くのみなのでほとんど素材としては使い道がありません。

 

その後の本編について面白かった点を箇条書きにします。

 

・無音なのがシュール。特に武田信玄が無声なのはおろか表情が真顔なのでそのシーンはかなりシュール。

 

・苦しいを連呼する武田信玄。うまく編集すれば難病かなんかで苦しんでると言ってもバレないかもしれないレベルの迫真さ。

 

・真面目部長似のモデルもシュール。40:00あたりの小声のシーンは余計に。

 

以上のようにこの作品の本編の面白さは総じてそのシュールさにあると思われる

 

最後の5分(その後にも謎の映像が7分くらい続くが)は武田信玄のインタビュー風。

 

速度違反で東京拘置所に入れられたエピソードを披露

 

そこで起きた出来事に関しての供述は一見の価値あり。

 

 

 

総括

それなりに面白いとは思ったものの、一軍になり得る勢いは見受けられませんでした。とはいえそのシュールさは屈指のもので、その独特の雰囲気が好きな一定数の視聴者からは支持を得られるに違いないと言えそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガバの木と海のある街で(連載第三回)

 私はそばにいる祖父の方を見た。この時77歳だった祖父は無聊を託ち、テレビばかり見ていた。その画面にはありふれたアニメの映像が映し出されている。私はこんなお爺さんになっても子供が見るようなアニメが面白いんだろうかと怪訝に思った。そしてその様子からは私が見たものを彼は見ていないことが伺われた。私は思い切って祖父に見たかどうかを聞こうかとも思った。しかし気が進まなかったのでやめにした。そうこうしているうちに次のアニメが始まった。この頃の日曜の午後はよく子供向けのテレビアニメを放送していた。ただ私にはどうも面白いと思われるものが無くほとんど見ることはなかったが。始まったアニメのオープニングの汚さに私は目を疑った。

「老人戦士セーラーむうぅぅぅぅぅん(男泣き)」(注1

さっき起きた出来事よりも、今見ている映像の方が私には何倍も衝撃的なものであった。そこに出てきたのは何故か半裸の眼鏡を掛けた老人。相当に痴呆が進んでいるのだろう、訳の分からないことを言っている。私はふとこの老人が祖父にそっくりであることに気がついた。もしかすると祖父は自分に似ている人が出ているからこのアニメを見ているのかもしれないと思った。そんなことを考えているうちに私の耳に次のようなOPテーマの歌詞が飛び込んできた。

「ハートはグチュグチュで吸い付いちゃってる・・・」

ハートにそんな機能ねぇよ!

 

そのアニメは30分ほどで終わった。内容は大して面白く無く、むしろ不快なものであった。何しろそこに出てくるヒロインと思しき謎の老人が不気味すぎる。それにもう一人のヒロインと思われる老人も嫌に気味の悪い顔の造りをしていた。その後、小学校に上がった時に読まされた「羅生門」の挿絵にちょうど似たような顔をした老人が載っていて「あっこれかぁ!」と思ったことがある。そしてさらに後になってからこのアニメを見たという人に会ったことがある。この二人目のヒロインは、その人の友達の間では「羅生門で死体食ってるババァ」と呼ばれていたらしい。(髪を抜いてただけで死体は食ってないだろ!いい加減にしろ!)

 

 しかし人間は気持ち悪いものに惹かれるのかもしれない。私はこのアニメの持つ魔力の虜になってしまった。何も良いところがあるとは思えないこのアニメを私は毎週見るようになった。一話をあれだけ熱心に見ていた祖父はすぐに飽きてしまったようだったが。私はそれからというものアニメの魅力に目覚め。いろいろな作品を見るようになった。そんな日々のうちに私は我馬を見たことをすっかり忘れていたのである。あの夏の終わりに突然の邂逅を果たすまでは。

 

注1 OPはこちらから(閲覧注意)。MADだからと言って生半可な覚悟で見てはいけない(戒め)。登場人物のそもそもの汚さに加えてほんへを存分に使用しているため初心者はもちろんのこと、ハードな内容のほんへやMADですらも笑ってきた歴戦の猛者たちですら「いやぁ〜きついっす(素)」と拒否反応を示すレベル。そもそものビデオはどの層に需要があるんですかね(困惑)。

ガバの木と海のある街で(連載第二回)

 

 さてこの間に流れ着いた我馬氏について私が幸か不幸かと述べたのには理由がある。というのもその頃この地を治めていた島田氏は百戦錬磨の名将の呼び声高く、三方の山、北の海という天然の要害を十二分に活用し、侵攻してきた敵を悉く退けてきたのであった。彼はその厳格な治世でも知られており、侵入者に対しては容赦無い処罰を下した。我馬もまた、実際には漂着者でありながら侵入者と見なされたのである。島田は海岸に異人ありの知らせを聞く否や麾下の兵と共にその敵を討つべく一路海岸へと馬を走らせた。

 そんなことはつゆも知らない我馬は浜辺にただ立ち尽くしていた。鉛色の海の彼方に小舟が浮きつ沈みつしている。我馬には今も自分がその小舟の上にいてどこへともなく流されているような気がしてならなかった。鼠色の空から牡丹雪が一つ、二つと降ってきた。汀に舞い落ちた雪が荒々しい波に攫われて行く。我馬は俄かに背後から地響きのような音を聞いた。振り返れば百騎を優に超える軍勢がこちらに一直線に向かってくるではないか。

「我慢できぬ。」

我馬はそうつぶやくが早いか柄に手を掛け昼にも関わらず暗い天に向かって鈍く光るその剣を向けた。

「最高・・・出力を・・・」

我馬はその軍勢の元へと駆けていった。

 

軍勢を自ら率いた騎上の島田は海岸が見えるや否や呆気にとられた。そこには一人の男しかいないのである。彼は少なくとも数十人の敵がいると予想していたから大いに拍子抜けした。しかし、この海岸は岩場が続いており、隠れる場所はいくらでもあるから油断はできない。男の姿が目の前に迫ってきた。彼はもしかすると我々以上の大群が襲ってくるかもしれないと気を引き締め、それから自らを鼓舞するかのようにこう叫んだ。

「Here we go(戦闘開始)!!」

島田の率いる軍勢は浜辺に雪崩れ込んだ。やはりそこに敵はその男以外にいないように見えた。もはや自軍の勝利は明らかだと島田は思った。島田はその男がこちらへ向かってくるのを見ると素早く戦闘配置に就くように指示を出した。あとはあの敵を押しつぶすだけである。

 

その時、予想外の出来事が起きた。島田の前を行く紺助が男にぶつかるかぶつからないかのところで馬から落ちた。被害はそれだけではなく、二騎、三騎と次々に斬られて行くではないか。島田は態勢が不備であったと判断し、一旦陣形を整えるべく反転せよとの命を出した。浜に竜巻のような土埃が舞い上がり、島田の軍は一挙に反転した。しかし時は既に遅かった。島田は反転するとほぼ同時に我馬に捕らえられた。

「気持ちよく(冥土に)INしてください?」

絶体絶命。しかし島田は歴戦の猛者である。島田の鮮やかな剣捌きは我馬の鋭敏な斬り込みを悉く退けた。そして近くに林があるのを見るや否やその中に逃げ込んだ。その鬱蒼とした林は人の丈ほどの下草で覆われており間違いなく安全な場所であった。そうして島田は同じように林に逃げ込んだ幾人かの部下に付き添われて共に居城へ逃げ帰った。戦いの帰りには決まって華々しい戦果を挙げ堂々たる威風を示した島田は悄然とするばかりであった。

 

翌る日。冬晴れのこの街に平和が訪れた。島田はかの男、我馬氏と和平を結ぶこととした。ある種の降伏であったが、これ以上の交戦は不利になるのみであったから妥当な判断である。さて島田は居城にその男を招待した。島田はもしかすると断られるのではないかと思った。果たして我馬は現れた。我馬の表情は昨日の鬼神のような様とは別人のような穏やかさを湛えていた。それはまさしく「普段は真面目な」彼の姿を体現しているかのようだった。

 

 この時の二人の様子を記録した映像が残されている。ソファに二人の男が座っている。言い伝えによると左が我馬で右が島田とされている。前日に戦いを交えたとは思えないほどに親密で敵愾心を微塵も感じさせない二人の和やかな表情が印象的である。私はこの映像を初めて見た時にこの両者の懐の深さに感服させられた。誰もがこの平和な結末に喜んでいたに違いない。

 

 しかし映像は残酷な結末をも克明に記録していた。二人の様子の後にスクリーンに映し出されたのは髭をたくわえた中年の男の映像だった。ややあってその右手に握られている銀色の謎の輪にズームが移る。謎の輪が放つ妖しい光。光の輪の中には現実とも夢とも判別がつかないような幽玄な世界が朧げに揺曳していた・・・次に私の目に飛び込んできたのは悲壮な処刑の映像だった。謎の輪を持ったあの男は島田の用意した刺客であった。術中に陥った我馬にはもはや成す術はなかった。二人の男に蹂躙される我馬。人間が発したとは思えないような不可解でそして怨念の籠った音の数々。そして映像は我馬の断末魔の叫びとともに幕を閉じた。

 

そうして我馬は海岸に埋められた。ところが、それからというものこの街には奇妙なことが起きた。我馬の処刑から半年も経たないうちに屋敷の竹林の中で縊死している島田が発見された。冬には雪が一ヶ月も降り止まなかった。人々の間にこの一連の災厄を我馬による祟りであるとまことしやかに囁かれるようになった。数年の時が経ち、我馬の墓の隣に木が生えた。木はこの地方には生えていないような不思議な木だった。名前のない木は日増しに大きくなりいつしか一本の大樹となった。人々はこの不思議な木に「ガバの木」という名前を与えた。そしてその頃の街にはこんな伝承が生まれていた。我馬は生まれ変わる。1度目は教師に、2度目は蛇に、そして3度目は元の姿に。

 

あの我馬が今、私の目の前にいるのである。しかしながら、そんな話を思い出しているうちに山の上を沙霧が音もなく過ぎるかのように、男はいつしか姿を消していた。私はとうとう我馬の生まれ変わりを見たのであった。

 

あとがき

風邪なので更新が遅れました許して亭許して。

例の映像の音声だけはこちら。音声だけでもうわぁグロ(島田部長並感)

伊尻兄貴の最近の2作品に関する評論

近頃のガバ穴界隈におけるメイントピックは何と言っても伊尻兄貴の怒涛の動画の連投であろう。伊尻兄貴とはニコニコ動画で活躍する動画投稿者であり、MADを得意分野としている。中でもガバ穴ダディーを題材とした作品は広く知られており、その力押しのガバガバ編集の他の追随を許さない独創的な作風に中毒になる視聴者も数知れない。今回は20作を深夜に連投することのインパクトは勿論のことその内容に関しても以前よりさらにミステリアス度を増しており話題を呼んだ。その作品群の中から私の独断と偏見を交えつつ選んだ2作品に関して評論を述べたいと思う。

 

1. 緩才ガバボン

 

1作品目には緩才ガバボンを選んだ。理由としては短時間に最近の伊尻作品のメインテーマが無駄なく詰め込まれていることが挙げられる。

 

まず第一に注目すべき点は投稿コメントである。「がばでいいのだ」は何を意味するのであろうか。私はこのコメントを伊尻兄貴の現代社会に対する警鐘であると解釈した。現代社会においては「がばであること」は許されない。そこでは生産性、効率性が求められた結果、ガバガバさは厳しい批判の的となるのだ。しかし伊尻兄貴はその批判される対象である「がば」に価値を見出している。がばであることは本当に悪いことなのだろうか、がばであることを忘れた現代人は何か極めて重要なものを失ったのではないか。がばであることすなわち徒に効率性を求めるのではなくある程度の余裕を持つことこそが本当の意味の人間の幸福につながるのではないか。私はそんな伊尻兄貴の強いメッセージを感じる。

 

第二には先ほど述べたようにテーマの凝縮が挙げられる。この作品には最近の伊尻作品の重要な位置を占めるものすなわちコブラネタと西部警察ネタが登場する。本稿では特に前者についての論考を加えたい。彼の動画に登場するコブラのほとんどはスペースコブラ三木谷BBにスペースコブラの音声が当てられたものが使われている。ちなみにこのBBは外でもない伊尻兄貴自身が2017年1月に投稿した作品である。その頃から彼の中ではコブラ三木谷の存在が大きな意義を持ち始めてきたのではなかろうか。伊尻兄貴が本格的なガバ穴ダディーMADに参戦したのは2015年6月のことであり、2017年頃になると動画制作の上である種の飽和感を抱いたのではないかと推察される。そんな中、彼が見出したのがコブラ三木谷だったのである。2017年当時のコブラ三木谷の知名度は低かった(今も知名度はあまり変わっていないかも知れないが)ためその活用法には苦心したことだろう。コブラ三木谷はガバ穴ダディー、島田部長だけでなくOGMM、ドラゴン田中といった有名どころとも絡みがあり出演作品も多いため素材も手に入れようと思えばいくらでも手に入るという、いつ一軍入りしてもおかしくないようなポテンシャルを秘めている。おそらく伊尻兄貴はそのポテンシャルにいち早く目をつけ、その利用法に関する模索を始めたのではないか。実際、スペースコブラ三木谷でコブラ三木谷の方向性をある程度定めたのが功を奏し、コブラネタは比較的人気のようである。今後コブラ三木谷の流行があれば伊尻兄貴は間違いなく良質のコブラMADを生み出すことだろう。

 

2. ダディさんED

 

もう1作品はダディさんEDとした。本作品は伊尻兄貴特有の独創的な着眼点を基盤とし、彼らしからぬ侘び寂びの感じられる(?)作品に仕上がっている。

 

先のようにまずは投稿コメントに注目したい。怖いねぇとは本編における島田部長の語録(多分空耳)であり、比較的有名である。さてこの作品中には怖いねぇが直接的に使われている。それは最後の場面で、ツイッターのガバ穴ダディbotの「(これから月曜日だなんて)怖いねぇ」というツイート画面が上げられており、botをリムーブしようとしているようにも見える。ここで注目したいのは投稿コメントには()中の部分が完全に抜け落ちていることである。このbotの意味する怖いねぇと投稿コメントのそれでは意味合いが違うのである。私はbotのツイートに対する伊尻兄貴の批判とみた。すなわち伊尻兄貴は月曜日を恐れることに対して怖いねぇと言っているのである。月曜日を恐れる態度、敷衍すると学業や仕事を厭うことはあってはならないという痛烈なメッセージである。この解釈ならば動画中のbotをリムーブしようとする謎の動きにも説明がつくのではないか。

 

本編で最初に目につくのは独創的な映像である。すなわちダディーたちが座ったソファーをメインとしたものであり、最近の伊尻作品でも屈指の不可解さを見せている。これはおそらく素材不足から、新しい素材を見出そうというある種の試験的な試みであろう。他のジャンル、例えば野獣先輩MADにおいてもソファがメインになる作品が好評を博しており、伊尻兄貴はおそらくその前例を知った上で今回の動画を制作したのであろう。既に人気投稿者として確固たる地位を築きながらも新たな境地の開拓のために様々な手法を試行錯誤する彼のMADに対する真摯な態度には畏敬の念を抱かざるを得ない。また、途中の部分では伊尻兄貴にしては珍しい静かな、侘び寂びとも言える表現が見られた。これもまた定番の力でゴリ押しのスタイルとは趣を異にする強弱のメリハリをつけたスタイルであり、その飽くなき探究心を窺わせる。

 

以上駆け足となったが最近の伊尻作品に関する評論を終えたい。本稿の執筆に携わり伊尻兄貴についての様々な論考を巡らせることによって彼の人気の秘訣が少しだが見えてきた気がする。彼はこれからもその独創的なスタイルで我々を魅了し続けてくれることだろう。

 

 

 

ガバの木と海のある街で(連載第一回)

支離滅裂な文体の模索。。。

 

1章:GBAN the third~血塗られたガバとその数奇なる転身譚~

 

ガバの木というのを私が初めて知ったのはもう気が遠くなるくらいの昔、私が小学校に上がる前だからそれこそもう50年以上も前のことである。その奇妙な名前の木を教えてくれたのは祖父だった。祖父は長いこと高校教師をしており、定年後は生まれ育ったこの小さな街でひっそりと一人で暮らしていたのである。彼にとって私は一人しかいない孫であるから、一人暮らしの寂しさと相まって、私が祖父の家に遊びに行った時にはそれこそもう気が狂わんばかりに私を溺愛した。しかし私はこの溺愛に対して内心きしょい・・・(拒絶)という感情を抱いており、そうであるから私はこの祖父の家を訪れることがあまり好きではなかった。この日も、私は母に半ば引きずられるようにして祖父の家に連れられてきた。本当は私は家で見たいテレビがあった。それは毎週日曜日の午前10:00から始まる「家族が増えるよ!やったぜ。どかちゃん」というアニメでこれはもう私達の世代の子供にはカルト的な人気を誇っていた。岡山の県北を舞台に、見た目は53歳の少年が次から次へと登場する極悪非道な悪党たちと死闘を繰り広げるという内容のもので、その手に汗握る戦闘シーンと緻密な心理描写に虜になったのは私とて例外ではなかった。私はどうしてもこれが見たかったのだが、泣く泣く連れて行かれてしまった。あとから友達に聞いた話では、その日の放送にSSR級の超人気キャラクター、AZにゃんが出たということで私は一層この回を見逃したことが口惜しくなった。ともあれ私は祖父の住む家に連れて行かれた。

 

祖父「す た み な 太 郎 三 部 作って知ってる?」

私「知wらwなwいwよw ファンネル...(注1」

祖父「一部:すたみな太郎とガバのがばいばあちゃん、二部:すたみな太郎とじゃけんの石 三部:すたみな太郎アントニーの三本です。来週もまた見てくださいねじゃんけんPON!(茂美のあの音)」

私「このおっさんは・・・(呆れ)」

その時、私達の前に55歳くらいの奇妙な男が立っているのに気がついた。男はスーツを着ていて、奇妙な太り方をしていた。とってつけたような腹部。私はすぐにこの男の身長が162cmであり、体重が91kgであることを見抜いた。なぜならこの男の存在は祖父によってもう1年くらい前に知らされていたからだ。

 

その祖父が話してくれた話、いわゆる我馬氏伝説はこの地域に旧くから伝わる伝承であり、祖父が話す話の中では数少ない、面白い部類に分類されるものであった。

 

その話の舞台は194年1月9日にまで遡る。策謀により都を追われた貴族、我馬孔子(がばのあなこ)は普段は真面目で優しい人物であったが一度戦いが始まると「殲滅気持ちいい。命ちょうだい」と恐ろしい言葉で敵を蹂躙する戦乱ダディーに大変身するという。私はこの大変身というのがまるで正義のヒーローのようだと思って惹かれた。都から一路北へ向かった我馬は途中の不意の敵襲に見舞われ、命からがら小舟で沖に漕ぎ出でた後、長いこと漂流生活を送り、幸か不幸かこの街の港に漂着した。我馬は奇蹟とも言える生還を心から喜び、この地でこんな句を詠んだと言われる。事実、その港にはその句を刻んだ石碑が建っているからあながち作り話ではないらしい。

「がばあなの くだけししらなみ かえりみて わがたましいは あなにいにけり」

解釈するとまぁ以下のようになる。

 

まず冒頭のがばあなの、は一種の枕詞であると捉えて良いだろう。くだけししらなみ かえりみては我馬が文字通り陸に上がって海を振り返っていることと、その漂流の日々を振り返っていることの二つの意味がかけられている。さらにわがたましいは あなにいにけりからはその体験の恐ろしさ、そして敵と戦わずに逃げてきたことへの心理的呵責が伺える。

 

ざっとこんな感じである。なおこの句碑の横にはもう一つこぢんまりとしたのが立っていてこちらは江戸時代の歌人ゆうさく(デケデケデケ)(注2の作である。詳細は注にあるリンク先を参照願いたい。彼もまた我馬と同じようにこの地で命を落とした。しかし、二人が小さな、何もないようなこの土地に偶然にも流れ着き、そこで一生を閉じることになるとはなんの因縁であろうか。さて先に結末を話してしまったが先ほど幸か不幸かと書いたのは彼がこの地で思いもよらない難敵に出くわし、結局敗れて処刑の憂き目をみたからである。その熾烈で奇妙に耽美的な戦いの話はまた後で書くことにして今日はこの辺で筆を置くこととしたい。

 

 

 

 

 注1 OGRSYNインンタビューでのインタビュアーの語録。ファンネルってなんだよ(哲学)

 

注2 ゆうさくとかすでに懐かしさ感じるんでしたよね?最近ウリ専に復活したとかなんとか。彼を呼んで撮影すれば自分だけの素材を入手できる可能性が微粒子レベルで存在している?もともとは三軍くらいだったがスズメバチに刺されるネタで2016年に爆発的に流行、一挙に一軍淫夢ファミリーの座に躍り出た。流行ったのが2年前とか時の流れ早くなぁい?ちなみにデケデケデケはBGMくん迫真の主張。気になる人はほんへでも見て、どうぞ。肝心の句は以下のリンクから。