前回の記事ではガバ穴ダディーの着ていた服が特定されました。
各方面からの反響が寄せられる中、次のような問題が浮き彫りになりました。
それはなぜ彼がこの服を着用するまでに至ったかという問題です。
新発見の事実に基づいて交わされた様々な議論では新たなガバ穴ダディーの解釈の手掛かりも数々生まれ、改めてこのガバ穴ダディーという作品の織りなす豊饒な世界に気付かされました。
今回はそれらの議論の中から生まれたいくつかの有力説について紹介していきたいと思います。
1. ガバ穴ダディー 体育教師説
私はこの説を初めて聞いたときに、非常に驚くと同時に深い感銘を受けました。
私の固定観念ではあの腹で体育教師はとても無理だろうと考えていたからです。
しかしオリンピックの服を着ているという事実が明らかになった以上、体育教師説の妥当性はかなり上昇したことは否めません。
さらに、実際の体育教師は実技をするケースがそれほど無いためダディーのような体型でも一応は務まる可能性があります。
さらにこの説を有力としているのは保健体育という科目の存在です。
ダディーがもし体育教師であるならば、保健体育の授業も受け持つこととなります。
ダディーにとってみれば実技の時よりもこの保健体育の時間にこそ真価が発揮できると言えそうです。
特に性的マイノリティーである自らの体験に基づき、少数者の存在を肯定し、寄り添うスタンスの性教育の授業は生徒たちの心によう沁みること間違いなしでしょう。
このような、少数者を尊重する姿勢こそが彼に対する「優しい教師」という評価と結びついているとも考えられます。
また、さらなる論考を加えた結果、以下のような仮説が導き出されました。
ガバ穴ダディーは保健体育の授業として自らの出演作を生徒たちに見せていたのでは無いか?
一見、荒唐無稽とも思われるこの説ですが実はきちんとした裏付けが存在します。
これはガバ穴ダディーの本編の尺と大きく関わっています。
「ガバ穴ダディー」の長さはちょうど1時間。その内の40分がダディー、島田そして途中から乱入するコブラ三木谷の三人が演ずるパートであり、残りの20分は4人目の独壇場となっています。
ここでまず起きる疑問はなぜこのような尺の配分をしたか、というものです。
一本のビデオとしてはかなり不可解な構成に思われます。三人のシーンを60分全部に収め、4人目のシーンは他のビデオに収録した方が良いと多くの方は考えるでしょう。
しかし、このビデオが学校の授業で使われていたとなればむしろこの不可解な構成は一転して自然なものとなります。
なぜなら授業時間を考えたときにダディーの登場するパートが60分では長すぎるのです。
仮に高校の場合を考えると、授業時間は1時間は50分である高校が標準的であり、尺が60分もあっては到底収まりません。
ところが尺を40分にすれば授業時間は10分残るため、その残った時間に感想を質問することができ、一つの授業としてうまくまとまるはずです。
つまりガバ穴ダディーは予め授業に使用することを前提としてビデオに出演したのかもしれません。
この授業はおそらく評判が良いでしょう。ダディーの何事も包み隠さず、真実を偽らずありのままに見せるという授業姿勢は、彼に対する「真面目」という評価とも密接な関わりがあるように思われます。
このように体育教師説は一見無理があるようで実はかなり有力な説だということが判明しました。とは言え「あんなビール腹で体育教師なんかできるわけないだろ!いい加減にしろ!」という意見も根強いため、この説だけに固執せず、他の説に関しても同様の考察が必要と思われます。
次の論題に移ろうと思ったのですがペンを握る穴がかなりヒクヒクしてきて指が三本入るほどガバガバになってしまったので本日はこの辺でおんもえさせていただきます。
中が気持ちよくモコモコのコタツに気持ちよくinしてこれから放送される「気持ちくてたまらぬモノマネ」を視聴しようと思います。
閲覧ありがとうございました。