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緩次郎 ーその謎の系譜を追ってー【緩次郎学】

昨年にガバ穴ダディーの名前が緩次郎であると判明して以来、その名前に関する考察が話題となっている。ガバ穴から名付けられたド直球のネーミングがウケたのかそれなりに知名度が高くなってきており、その結果、同じ名を持つ歴史上の人物が発掘されるなどの新発見が相次いでいる。今回は筆者がネット上で見聞した情報を基に緩次郎という名を持つ人物たちの謎の繋がりについて軽く紹介したい。

 

本稿で扱う緩次郎は以下の三名である

 

・前田緩次郎

・高橋緩次郎

・緩次郎(ガバ穴ダディー)

 

まず前者2名に関して簡単に紹介しておく

 

前田緩次郎は加賀大聖寺藩第9第藩主前田利平の三男である。しかし、この緩次郎は系図に(1813-1814)とあるようにわずか1歳でこの世を去っている。時代背景を考えるとおそらく緩次郎は幼名であり、元服後に諱を送られるはずだったのではないかと思われる。

 

高橋緩次郎は明治期の「広島要塞司令官」 『歴代官顕録』にその名が記載されている。ちなみにこの本を記したのは井尻常吉という人物。井尻を止めろ。なおこの人物は石川県立図書館ホームページの石川県関係人物文献検索の人名リストに記載されており、石川県出身であると思われる。

 

この両者に共通するのは出身地が現在の石川という点である。

 

さらに三人目の緩次郎、ガバ穴ダディーにはなんと「加賀」という語録が存在する。

 

あまりにも汚い本編垂れ流しの音声のみと普通ならコアなマニアしか見ないような動画だが、その空耳の圧倒的な面白さからこの手の動画としては異例の45万再生を誇り、毎日欠かさずに聴くという視聴者も少なくない。問題の語録は2:18に登場する。コメントでも拾われており、比較的明瞭に発音されている。

 

 

これで三人の緩次郎が繋がった。この三人の人物は「加賀」を共通点として持っている。これは単なる偶然なのかそうでないのか。それは今後の緩次郎学の深化によって徐々に明らかになってゆくであろう。

 

以上のことからガバ穴ダディーを探している人達は優先的に石川県を訪れることをお勧めする。なおお隣の富山県越中爺ちゃんこと激ハメ爺ちゃんの出身地でもあるのでそちらと合わせての訪問も良いかもしれない。