ぷもも園

GABANダディー

ガバ穴ダディーレビュー

名作とはあらゆる解釈を受け入れるものだと言われる。解釈の幅が広いとはすなわちその映り方が十人十色となるということだろう。これはひとえに名作の豊穣さの証左であるように私には思われる。名作には何度鑑賞しても新しい発見があるのが常である。そしてそれこそがその作品の名作たる所以でもある。しかしその多義性は別の味方をすれば掴み所が無いということである。掴んだと思って手を開けば霧のように消えている。世間に名作と呼ばれるものは音楽、文学、絵画、映画など様々な分野に数多あるけれども、それらの根底に流れるのはあらゆる解釈を受け入れながらそれでいてあらゆる解釈を拒むという逆説的な真理だ。

名作がそのようなものならばガバ穴ダディーは間違いなく名作である。この作品の中にはあらゆる解釈の可能性と徹底的な不可解さとが共存している。この作品は何度見てもその真の姿を表さない。してみるとガバ穴というタイトルは実に意味深長な響きを持って我々に迫ってくる。ガバ穴とは単なる緩い穴の意味にとどまらない。それはブラックホールのような何者かではないか。この不可思議なまでに奥深い穴はどのような解釈をも飲み込み、見る者を闇の底に引きずり込んでしまう。



ビデオは太目の中年男性が互いの唇を貪り合うシーンで幕を開ける。タチリーマンの手によってたくし上げられたワイシャツの下から紺碧の空に浮ぶ満月の如くまん丸なダディーのお腹が姿を表す。腰を浮かせているとはいえあまりにも太い。タチリーマン氏が右胸の盃を伏せたような丘を露にするやいなやダディーはそれにしゃぶりつく。しかし欲張りダディーは飽き足らない。目の前のものに満足出来ずにタチリーマン氏の秘められし棒をしゃぶることを欲する。

「しゃぶりたいか?」

「しゃぶらせてくださいは?」

タチリーマンによる言葉責めに対しダディーは卑猥な言葉で太マラをおねだりする。そこには真面目な優しい教師としての姿が消え果て、淫乱この上ない姿が残るばかりである。

やがてタチリーマン氏の、叢林に覆われた仏塔が姿を表す。ダディーは一心不乱にそれを口に含む。その心尽くしの奉仕に感動したのだろうか、タチリーマンは指をダディーの穴に滑り込ませる。

「中にはいっちょる…」

「気持ちよくて我慢できない…」

ご恩と奉公の関係はしばらく続く。やがてシーンはタチリーマンがダディーを背後から攻めるシーンに変わる。モロ感ダディーにタチリーマンの熟練の責めが容赦なく突き刺さる。それにしても本作品では随所にタチリーマンの手際の良さと責めの上手さが光る。タチリーマンを指示厨と見る向きもあるが、彼はそもそもダディーを言葉責めするという役割であるからそれほど気にならない。兎に角場の回し方が上手い。長年ビデオに出演している百戦錬磨の男優は伊達ではない。

しかし私は本作品におけるタチリーマンを全面的に賞賛する積もりは毛頭無い。というのも、結果的に氏はこのビデオの価値を半減させているように私には思えるからだ。それは後ほど語るとして今は二人の紡ぎ出す世界に戻ろう。

タチリーマンの攻めによがり狂うダディー。体をくねらせ顔を歪ませ快楽を目一杯に表現している。このシーンはかの有名なドラゴン田中のダンスを彷彿とさせるがしかしその体の動きの激しさはドラゴン以上だろう。このくねくねダディーは一見の価値ありだ。

先程のお返しとばかりにタチリーマン氏は露になったダディーの胸に顔を埋める。ダディーは喜悦の表情を浮かべる。タチリーマンの攻めも一流だがダディーの受けも負けてはいない。むしろその強烈なおねだりはタチリーマンの言葉責めをも凌ぐ勢いだ。最強の攻めに最強の受け。この最強の二人が相見えた時、そこには物語が生まれる。


しかし画面は無情にも切り替わった。ダディーがしゃぶる謎の男。何が起こったのか。私は停電したかのように何もかも止まってしまった。タチリーマンから他の男にバトンタッチしたのか?いやしかしタチリーマンの声は聞こえる。ということはこの三人による天地創造が行われるのだろうか?そもそもこの男は何者か?

やがてそこに三人目の男の孤独なsilhouetteが浮かび上がった。これは…紛れもなくヤツだ…!

コブラじゃねぇか!ドラゴン田中をガン掘りし野 田 内 閣の一員として活躍した挙句OGMMのタチ役を務めあらゆる中熟年デブホモビデオで貴重なタチとして活躍したコブラ三木谷じゃねぇか!

なぜこのタイミングでこのコブラなんだ?ダディーとタチリーマンだけで充分じゃないか?そこになぜ体型も雰囲気も違うコブラがやってきたのだろう?

混乱する思考に追い打ちをかけるかのように耳を劈くばかりのコブラの吐息が聞こえてくる。それはちょうど猛り狂う馬のようだった。この奔馬は我々の思考を引きずるようにして駆け抜けてゆく。

混沌とした映像と音声が絶え間なく続く。やがてシーンはダディーご自慢のガバ穴ご開帳となる。それは洞窟のようにぽっかりと口を開けていた。丸く縁取られた輪郭の中に漆黒の闇を湛えていた。そこにタチリーマンの腕やドラ田の七つ道具のようなものが飲み込まれてゆくシーンは圧巻である。しかし幾ら何でもガバガバすぎる。ここまでのガバガバとは思わなかった。どうしたらここまでガバくなるのだろう?人体の神秘。

さてシーンはいよいよ天地創造となるわけだが私は大いに意表を突かれた。コブラがダディーを掘るのはいいとして除け者になったタチリーマンはどうしたか?彼はあろうことか顔叩きの儀式を始めたのである!儀式だと言われても信じるものなどいないだろう。おまけにプレイの内容としても全く意味不明だ。しかもダディー、さっき散々しゃぶらされたタチリーマンの祖TNTNに辟易したのか若干拒否気味。ダディーはダディーでコブラにつられたのか意味不明なうるさい発声を繰り返す。こうなるとさながらライブ失敗の様相を呈しており、せっかく序盤まで良い雰囲気だったビデオもこれではもはやコメディである。もっとも素材としては面白いことこの上ないからこれはこれでいいのかもしれない。しかし純粋に一つのホモビデオという観点で見るならちょっと残念だろう。そして映像に理解が追いつく前にビデオが終わってしまった。

おそらくタチリーマンとダディーだけのはずだったのがタチリーマンに故障が生じたため急遽コブラが参戦したのだろう。台本がなかったこともあるのだろうから仕方がないのだが、結果としてカオスな世界が生まれてしまった。本作品のレビューにはタチリーマンとダディーだけの映像が見たかったという声が多数あり、私も同感である。序盤の絡みが絶妙だっただけに後半の大失速が浮き彫りになってしまったのは皮肉である。

しかしこれもまた「ガバ穴ダディー」なのである。ガバガバなのはダディーだけでは無かった。ガバいのはこの作品自体だったのである。ここまで本編を見て気付かされたのだが、ガバとはまさしくこの作品を象徴する言葉ではあるまいか。そう考えるとこの作品のガバさもまた違った味わいが出てくる。やたらうるさいダディーとコブラに指示厨インポディアルガ。役者としてはガバガバな彼らは皆、この作品の何とも言えないガバさを演出している。確かにガバ穴よりキツ穴の方が嬉しいかもしれない。しかしガバに何らかの価値が見出せるとしたら、それはきっとかけがえのないものになると思う。無理にキツ穴になる必要などない。ガバでいいのだ。



最近読んだ本を紹介します。

『ぷももたろう』は可もなく不可もない童話作品。ぷももから生まれたぷももたろうは真面目で優しい男の子。しかし彼らの住む村に来襲した鬼の悪行を目にし一旦正義の心を弄られると「鬼の首欲しい・・・太いシーチキン(きびだんごの代用品)ちょうだい?」と戦闘をおねだりする戦乱ダディーに大変身!その後ぷももたろう改めぷももダディーは鬼ヶ島への道の途中でコブラディアルガに出会い意気投合。なお肝心の戦闘はほぼディアルガのゴリ押しだけで勝利。その後おじいさん(激ハメ爺ちゃん)とおばあさん(ナナちゃん)の元に帰って終了。よかったねっていう話です。詳細なストーリーは稿を改めて書くかもしれません。