ぷもも園附属博物館、ここは古今東西実に19419点の資料を収蔵する知られざる大博物館である。普通の博物館とは雰囲気を異にする。ここを訪れる人はそう多くはないのが現状だ。真贋が極めて怪しいもの、民間信仰やいわゆる淫祠邪教の類に分類される宗教儀式の記録及び道具など、一般的な施設ではまず扱わないような品々を集めているからだ。
金助聖太子像の写真である。セピア色に変色した写真には堂々と聳え、威厳に溢れた金助聖太子の像が収められている。
裏面には
キモチヨクナツ寺にて
1941.9
と書かれているのみだ。撮影者などのデータも全く不明である。キモチヨクナツ寺とはそもそも何処なのか?どうやら南方であることに間違いはない。イタリアの東南アジア仏教研究家、ナニガキモチーノ氏によれば、キモチヨクナツ寺は東南アジア島嶼部にあり、太平洋戦争の戦火によって焼失したと伝えている。また、日本における仏像研究の権威として知られる島田名誉教授はこの寺はフィリピンか?というコメントを残している。
金助聖太子像はインドを起源とし、東南アジアや中国、朝鮮、中央アジア、果ては日本まで(広範囲に分布)が確認されている。日本におけるうーん最古!の金助聖太子像は鎌倉時代後期のものと伝えられており、日本国内でも百体以上が確認されている。金助聖太子は江戸以降は俗に四様と称され、様々な験があるとして民衆からの崇拝を集めた。
先程も少し触れたが、金助聖太子の原型はインドのコンスケという神に遡る。コンスケに関しては非常に興味深い話が伝わっているのでここに引用する。