ガバの木と海のある街で(連載第三回)

 私はそばにいる祖父の方を見た。この時77歳だった祖父は無聊を託ち、テレビばかり見ていた。その画面にはありふれたアニメの映像が映し出されている。私はこんなお爺さんになっても子供が見るようなアニメが面白いんだろうかと怪訝に思った。そしてその様子からは私が見たものを彼は見ていないことが伺われた。私は思い切って祖父に見たかどうかを聞こうかとも思った。しかし気が進まなかったのでやめにした。そうこうしているうちに次のアニメが始まった。この頃の日曜の午後はよく子供向けのテレビアニメを放送していた。ただ私にはどうも面白いと思われるものが無くほとんど見ることはなかったが。始まったアニメのオープニングの汚さに私は目を疑った。

「老人戦士セーラーむうぅぅぅぅぅん(男泣き)」(注1

さっき起きた出来事よりも、今見ている映像の方が私には何倍も衝撃的なものであった。そこに出てきたのは何故か半裸の眼鏡を掛けた老人。相当に痴呆が進んでいるのだろう、訳の分からないことを言っている。私はふとこの老人が祖父にそっくりであることに気がついた。もしかすると祖父は自分に似ている人が出ているからこのアニメを見ているのかもしれないと思った。そんなことを考えているうちに私の耳に次のようなOPテーマの歌詞が飛び込んできた。

「ハートはグチュグチュで吸い付いちゃってる・・・」

ハートにそんな機能ねぇよ!

 

そのアニメは30分ほどで終わった。内容は大して面白く無く、むしろ不快なものであった。何しろそこに出てくるヒロインと思しき謎の老人が不気味すぎる。それにもう一人のヒロインと思われる老人も嫌に気味の悪い顔の造りをしていた。その後、小学校に上がった時に読まされた「羅生門」の挿絵にちょうど似たような顔をした老人が載っていて「あっこれかぁ!」と思ったことがある。そしてさらに後になってからこのアニメを見たという人に会ったことがある。この二人目のヒロインは、その人の友達の間では「羅生門で死体食ってるババァ」と呼ばれていたらしい。(髪を抜いてただけで死体は食ってないだろ!いい加減にしろ!)

 

 しかし人間は気持ち悪いものに惹かれるのかもしれない。私はこのアニメの持つ魔力の虜になってしまった。何も良いところがあるとは思えないこのアニメを私は毎週見るようになった。一話をあれだけ熱心に見ていた祖父はすぐに飽きてしまったようだったが。私はそれからというものアニメの魅力に目覚め。いろいろな作品を見るようになった。そんな日々のうちに私は我馬を見たことをすっかり忘れていたのである。あの夏の終わりに突然の邂逅を果たすまでは。

 

注1 OPはこちらから(閲覧注意)。MADだからと言って生半可な覚悟で見てはいけない(戒め)。登場人物のそもそもの汚さに加えてほんへを存分に使用しているため初心者はもちろんのこと、ハードな内容のほんへやMADですらも笑ってきた歴戦の猛者たちですら「いやぁ〜きついっす(素)」と拒否反応を示すレベル。そもそものビデオはどの層に需要があるんですかね(困惑)。

ガバの木と海のある街で(連載第二回)

 

 さてこの間に流れ着いた我馬氏について私が幸か不幸かと述べたのには理由がある。というのもその頃この地を治めていた島田氏は百戦錬磨の名将の呼び声高く、三方の山、北の海という天然の要害を十二分に活用し、侵攻してきた敵を悉く退けてきたのであった。彼はその厳格な治世でも知られており、侵入者に対しては容赦無い処罰を下した。我馬もまた、実際には漂着者でありながら侵入者と見なされたのである。島田は海岸に異人ありの知らせを聞く否や麾下の兵と共にその敵を討つべく一路海岸へと馬を走らせた。

 そんなことはつゆも知らない我馬は浜辺にただ立ち尽くしていた。鉛色の海の彼方に小舟が浮きつ沈みつしている。我馬には今も自分がその小舟の上にいてどこへともなく流されているような気がしてならなかった。鼠色の空から牡丹雪が一つ、二つと降ってきた。汀に舞い落ちた雪が荒々しい波に攫われて行く。我馬は俄かに背後から地響きのような音を聞いた。振り返れば百騎を優に超える軍勢がこちらに一直線に向かってくるではないか。

「我慢できぬ。」

我馬はそうつぶやくが早いか柄に手を掛け昼にも関わらず暗い天に向かって鈍く光るその剣を向けた。

「最高・・・出力を・・・」

我馬はその軍勢の元へと駆けていった。

 

軍勢を自ら率いた騎上の島田は海岸が見えるや否や呆気にとられた。そこには一人の男しかいないのである。彼は少なくとも数十人の敵がいると予想していたから大いに拍子抜けした。しかし、この海岸は岩場が続いており、隠れる場所はいくらでもあるから油断はできない。男の姿が目の前に迫ってきた。彼はもしかすると我々以上の大群が襲ってくるかもしれないと気を引き締め、それから自らを鼓舞するかのようにこう叫んだ。

「Here we go(戦闘開始)!!」

島田の率いる軍勢は浜辺に雪崩れ込んだ。やはりそこに敵はその男以外にいないように見えた。もはや自軍の勝利は明らかだと島田は思った。島田はその男がこちらへ向かってくるのを見ると素早く戦闘配置に就くように指示を出した。あとはあの敵を押しつぶすだけである。

 

その時、予想外の出来事が起きた。島田の前を行く紺助が男にぶつかるかぶつからないかのところで馬から落ちた。被害はそれだけではなく、二騎、三騎と次々に斬られて行くではないか。島田は態勢が不備であったと判断し、一旦陣形を整えるべく反転せよとの命を出した。浜に竜巻のような土埃が舞い上がり、島田の軍は一挙に反転した。しかし時は既に遅かった。島田は反転するとほぼ同時に我馬に捕らえられた。

「気持ちよく(冥土に)INしてください?」

絶体絶命。しかし島田は歴戦の猛者である。島田の鮮やかな剣捌きは我馬の鋭敏な斬り込みを悉く退けた。そして近くに林があるのを見るや否やその中に逃げ込んだ。その鬱蒼とした林は人の丈ほどの下草で覆われており間違いなく安全な場所であった。そうして島田は同じように林に逃げ込んだ幾人かの部下に付き添われて共に居城へ逃げ帰った。戦いの帰りには決まって華々しい戦果を挙げ堂々たる威風を示した島田は悄然とするばかりであった。

 

翌る日。冬晴れのこの街に平和が訪れた。島田はかの男、我馬氏と和平を結ぶこととした。ある種の降伏であったが、これ以上の交戦は不利になるのみであったから妥当な判断である。さて島田は居城にその男を招待した。島田はもしかすると断られるのではないかと思った。果たして我馬は現れた。我馬の表情は昨日の鬼神のような様とは別人のような穏やかさを湛えていた。それはまさしく「普段は真面目な」彼の姿を体現しているかのようだった。

 

 この時の二人の様子を記録した映像が残されている。ソファに二人の男が座っている。言い伝えによると左が我馬で右が島田とされている。前日に戦いを交えたとは思えないほどに親密で敵愾心を微塵も感じさせない二人の和やかな表情が印象的である。私はこの映像を初めて見た時にこの両者の懐の深さに感服させられた。誰もがこの平和な結末に喜んでいたに違いない。

 

 しかしその映像は残酷な結末をも克明に記録していた。二人の様子の後にスクリーンに映し出されたのは髭をたくわえた中年の男の映像だった。ややあってその右手に握られている銀色の謎の輪にズームが移る。その謎の輪が放つ妖しい光。その光の輪の中には現実とも夢とも判別がつかないような幽玄な世界が朧げに揺曳していた・・・その次に私の目に飛び込んできたのは悲壮な処刑の映像だった。謎の輪を持ったあの男は島田の用意した刺客であった。術中に陥った我馬にはもはや成す術はなかった。二人の男に蹂躙される我馬。人間が発したとは思えないような不可解でそして怨念の籠った音の数々。そしてその映像は我馬の断末魔の叫びとともに幕を閉じた。

 

そうして我馬は海岸に埋められた。ところが、それからというものこの街には奇妙なことが起きた。我馬の処刑から半年も経たないうちに屋敷の竹林の中で縊死している島田が発見された。それからその冬には雪が一ヶ月も降り止まなかった。人々の間にこの一連の災厄を我馬による祟りであるとまことしやかに囁かれるようになった。それから数年の時が経ち、我馬の墓の隣に木が生えた。この木はこの近辺には生えていないような不思議な木だった。その名前のない木は日増しに大きくなりいつしか一本の大樹となった。人々はこの不思議な木に「ガバの木」という名前を与えた。そしてその頃のこの街にはこんな伝承が生まれていた。我馬は生まれ変わる。1度目は教師に、2度目は蛇に、そして3度目は元の姿に。

 

あの我馬が今、私の目の前にいるのである。しかしながら、そんな話を思い出しているうちに山の上を沙霧が音もなく過ぎるかのように、男はいつしか姿を消していた。私はとうとう我馬の生まれ変わりを見たのであった。

 

あとがき

風邪なので更新が遅れました許して亭許して。

例の映像の音声だけはこちら。音声だけでもうわぁグロ(島田部長並感)

伊尻兄貴の最近の2作品に関する評論

近頃のガバ穴界隈におけるメイントピックは何と言っても伊尻兄貴の怒涛の動画の連投であろう。伊尻兄貴とはニコニコ動画で活躍する動画投稿者であり、MADを得意分野としている。中でもガバ穴ダディーを題材とした作品は広く知られており、その力押しのガバガバ編集の他の追随を許さない独創的な作風に中毒になる視聴者も数知れない。今回は20作を深夜に連投することのインパクトは勿論のことその内容に関しても以前よりさらにミステリアス度を増しており話題を呼んだ。その作品群の中から私の独断と偏見を交えつつ選んだ2作品に関して評論を述べたいと思う。

 

1. 緩才ガバボン

 

1作品目には緩才ガバボンを選んだ。理由としては短時間に最近の伊尻作品のメインテーマが無駄なく詰め込まれていることが挙げられる。

 

まず第一に注目すべき点は投稿コメントである。「がばでいいのだ」は何を意味するのであろうか。私はこのコメントを伊尻兄貴の現代社会に対する警鐘であると解釈した。現代社会においては「がばであること」は許されない。そこでは生産性、効率性が求められた結果、ガバガバさは厳しい批判の的となるのだ。しかし伊尻兄貴はその批判される対象である「がば」に価値を見出している。がばであることは本当に悪いことなのだろうか、がばであることを忘れた現代人は何か極めて重要なものを失ったのではないか。がばであることすなわち徒に効率性を求めるのではなくある程度の余裕を持つことこそが本当の意味の人間の幸福につながるのではないか。私はそんな伊尻兄貴の強いメッセージを感じる。

 

第二には先ほど述べたようにテーマの凝縮が挙げられる。この作品には最近の伊尻作品の重要な位置を占めるものすなわちコブラネタと西部警察ネタが登場する。本稿では特に前者についての論考を加えたい。彼の動画に登場するコブラのほとんどはスペースコブラ三木谷BBにスペースコブラの音声が当てられたものが使われている。ちなみにこのBBは外でもない伊尻兄貴自身が2017年1月に投稿した作品である。その頃から彼の中ではコブラ三木谷の存在が大きな意義を持ち始めてきたのではなかろうか。伊尻兄貴が本格的なガバ穴ダディーMADに参戦したのは2015年6月のことであり、2017年頃になると動画制作の上である種の飽和感を抱いたのではないかと推察される。そんな中、彼が見出したのがコブラ三木谷だったのである。2017年当時のコブラ三木谷の知名度は低かった(今も知名度はあまり変わっていないかも知れないが)ためその活用法には苦心したことだろう。コブラ三木谷はガバ穴ダディー、島田部長だけでなくOGMM、ドラゴン田中といった有名どころとも絡みがあり出演作品も多いため素材も手に入れようと思えばいくらでも手に入るという、いつ一軍入りしてもおかしくないようなポテンシャルを秘めている。おそらく伊尻兄貴はそのポテンシャルにいち早く目をつけ、その利用法に関する模索を始めたのではないか。実際、スペースコブラ三木谷でコブラ三木谷の方向性をある程度定めたのが功を奏し、コブラネタは比較的人気のようである。今後コブラ三木谷の流行があれば伊尻兄貴は間違いなく良質のコブラMADを生み出すことだろう。

 

2. ダディさんED

 

もう1作品はダディさんEDとした。本作品は伊尻兄貴特有の独創的な着眼点を基盤とし、彼らしからぬ侘び寂びの感じられる(?)作品に仕上がっている。

 

先のようにまずは投稿コメントに注目したい。怖いねぇとは本編における島田部長の語録(多分空耳)であり、比較的有名である。さてこの作品中には怖いねぇが直接的に使われている。それは最後の場面で、ツイッターのガバ穴ダディbotの「(これから月曜日だなんて)怖いねぇ」というツイート画面が上げられており、botをリムーブしようとしているようにも見える。ここで注目したいのは投稿コメントには()中の部分が完全に抜け落ちていることである。このbotの意味する怖いねぇと投稿コメントのそれでは意味合いが違うのである。私はbotのツイートに対する伊尻兄貴の批判とみた。すなわち伊尻兄貴は月曜日を恐れることに対して怖いねぇと言っているのである。月曜日を恐れる態度、敷衍すると学業や仕事を厭うことはあってはならないという痛烈なメッセージである。この解釈ならば動画中のbotをリムーブしようとする謎の動きにも説明がつくのではないか。

 

本編で最初に目につくのは独創的な映像である。すなわちダディーたちが座ったソファーをメインとしたものであり、最近の伊尻作品でも屈指の不可解さを見せている。これはおそらく素材不足から、新しい素材を見出そうというある種の試験的な試みであろう。他のジャンル、例えば野獣先輩MADにおいてもソファがメインになる作品が好評を博しており、伊尻兄貴はおそらくその前例を知った上で今回の動画を制作したのであろう。既に人気投稿者として確固たる地位を築きながらも新たな境地の開拓のために様々な手法を試行錯誤する彼のMADに対する真摯な態度には畏敬の念を抱かざるを得ない。また、途中の部分では伊尻兄貴にしては珍しい静かな、侘び寂びとも言える表現が見られた。これもまた定番の力でゴリ押しのスタイルとは趣を異にする強弱のメリハリをつけたスタイルであり、その飽くなき探究心を窺わせる。

 

以上駆け足となったが最近の伊尻作品に関する評論を終えたい。本稿の執筆に携わり伊尻兄貴についての様々な論考を巡らせることによって彼の人気の秘訣が少しだが見えてきた気がする。彼はこれからもその独創的なスタイルで我々を魅了し続けてくれることだろう。

 

 

 

ガバの木と海のある街で(連載第一回)

支離滅裂な文体の模索。。。

 

1章:GBAN the third~血塗られたガバとその数奇なる転身譚~

 

ガバの木というのを私が初めて知ったのはもう気が遠くなるくらいの昔、私が小学校に上がる前だからそれこそもう50年以上も前のことである。その奇妙な名前の木を教えてくれたのは祖父だった。祖父は長いこと高校教師をしており、定年後は生まれ育ったこの小さな街でひっそりと一人で暮らしていたのである。彼にとって私は一人しかいない孫であるから、一人暮らしの寂しさと相まって、私が祖父の家に遊びに行った時にはそれこそもう気が狂わんばかりに私を溺愛した。しかし私はこの溺愛に対して内心きしょい・・・(拒絶)という感情を抱いており、そうであるから私はこの祖父の家を訪れることがあまり好きではなかった。この日も、私は母に半ば引きずられるようにして祖父の家に連れられてきた。本当は私は家で見たいテレビがあった。それは毎週日曜日の午前10:00から始まる「家族が増えるよ!やったぜ。どかちゃん」というアニメでこれはもう私達の世代の子供にはカルト的な人気を誇っていた。岡山の県北を舞台に、見た目は53歳の少年が次から次へと登場する極悪非道な悪党たちと死闘を繰り広げるという内容のもので、その手に汗握る戦闘シーンと緻密な心理描写に虜になったのは私とて例外ではなかった。私はどうしてもこれが見たかったのだが、泣く泣く連れて行かれてしまった。あとから友達に聞いた話では、その日の放送にSSR級の超人気キャラクター、AZにゃんが出たということで私は一層この回を見逃したことが口惜しくなった。ともあれ私は祖父の住む家に連れて行かれた。

 

祖父「す た み な 太 郎 三 部 作って知ってる?」

私「知wらwなwいwよw ファンネル...(注1」

祖父「一部:すたみな太郎とガバのがばいばあちゃん、二部:すたみな太郎とじゃけんの石 三部:すたみな太郎アントニーの三本です。来週もまた見てくださいねじゃんけんPON!(茂美のあの音)」

私「このおっさんは・・・(呆れ)」

その時、私達の前に55歳くらいの奇妙な男が立っているのに気がついた。男はスーツを着ていて、奇妙な太り方をしていた。とってつけたような腹部。私はすぐにこの男の身長が162cmであり、体重が91kgであることを見抜いた。なぜならこの男の存在は祖父によってもう1年くらい前に知らされていたからだ。

 

その祖父が話してくれた話、いわゆる我馬氏伝説はこの地域に旧くから伝わる伝承であり、祖父が話す話の中では数少ない、面白い部類に分類されるものであった。

 

その話の舞台は194年1月9日にまで遡る。策謀により都を追われた貴族、我馬孔子(がばのあなこ)は普段は真面目で優しい人物であったが一度戦いが始まると「殲滅気持ちいい。命ちょうだい」と恐ろしい言葉で敵を蹂躙する戦乱ダディーに大変身するという。私はこの大変身というのがまるで正義のヒーローのようだと思って惹かれた。都から一路北へ向かった我馬は途中の不意の敵襲に見舞われ、命からがら小舟で沖に漕ぎ出でた後、長いこと漂流生活を送り、幸か不幸かこの街の港に漂着した。我馬は奇蹟とも言える生還を心から喜び、この地でこんな句を詠んだと言われる。事実、その港にはその句を刻んだ石碑が建っているからあながち作り話ではないらしい。

「がばあなの くだけししらなみ かえりみて わがたましいは あなにいにけり」

解釈するとまぁ以下のようになる。

 

まず冒頭のがばあなの、は一種の枕詞であると捉えて良いだろう。くだけししらなみ かえりみては我馬が文字通り陸に上がって海を振り返っていることと、その漂流の日々を振り返っていることの二つの意味がかけられている。さらにわがたましいは あなにいにけりからはその体験の恐ろしさ、そして敵と戦わずに逃げてきたことへの心理的呵責が伺える。

 

ざっとこんな感じである。なおこの句碑の横にはもう一つこぢんまりとしたのが立っていてこちらは江戸時代の歌人ゆうさく(デケデケデケ)(注2の作である。詳細は注にあるリンク先を参照願いたい。彼もまた我馬と同じようにこの地で命を落とした。しかし、二人が小さな、何もないようなこの土地に偶然にも流れ着き、そこで一生を閉じることになるとはなんの因縁であろうか。さて先に結末を話してしまったが先ほど幸か不幸かと書いたのは彼がこの地で思いもよらない難敵に出くわし、結局敗れて処刑の憂き目をみたからである。その熾烈で奇妙に耽美的な戦いの話はまた後で書くことにして今日はこの辺で筆を置くこととしたい。

 

 

 

 

 注1 OGRSYNインンタビューでのインタビュアーの語録。ファンネルってなんだよ(哲学)

 

注2 ゆうさくとかすでに懐かしさ感じるんでしたよね?最近ウリ専に復活したとかなんとか。彼を呼んで撮影すれば自分だけの素材を入手できる可能性が微粒子レベルで存在している?もともとは三軍くらいだったがスズメバチに刺されるネタで2016年に爆発的に流行、一挙に一軍淫夢ファミリーの座に躍り出た。流行ったのが2年前とか時の流れ早くなぁい?ちなみにデケデケデケはBGMくん迫真の主張。気になる人はほんへでも見て、どうぞ。肝心の句は以下のリンクから。

 

 

 

 

 

美容院にて

美容院に行ってきた。私が美容院に行くのはこれが2度目である。一回目は今年の5月の末だったと記憶している。それまでは10年以上、家から1番近い古い床屋で済ませていた。ではなぜ変えたかというと市内で引越しをしたのだがその引越し先の最寄りがたまたま美容院だったのでそこに通うようになったと言うだけである。気取った髪型にしたいからという理由で床屋から美容院に変えるような分際ではないことは私自身でも了解している所であるし、また、私を知る読者であれば納得できる所であろう。さて今日は私の美容院体験記を書かせて頂く。くだらない話ばかりになるかと思うが何卒お付き合い願いたい。

美容院にいると肩身の狭い気がしてならない。なんだか訳の分からないところに迷い込んでしまったような気分である。うまい比喩が見つからないが強いて言うなら綺麗な水の中に放り込まれたどじょうのようなものでどこか落ち着かない。やはりどじょうには泥水が1番である。そんな汚い泥水なんぞ啜ってないでこっちの綺麗な水の方に来たらどうかといわれてもそんなことは知ったこっちゃない泥水のほうが住みやすいのだからそっちに引っ越すのはどうも御免蒙る。さて今回私が演じさせられたのはどうやらこのどじょうの役であったらしい。

これから事の顛末を書く前にまず件の美容院についての説明を記しておこう。その美容院は従業員が十人弱で建物はコンビニの居抜きである。もう長いことやっているらしく私が物心ついた時にはすでに営業していたように記憶しているからかれこれ十五年はやっているのではなかろうか。内装は白を基調とした壁紙を用い、明るい印象である。従業員は総じて20代と思しき若い人ばかり揃っている。無論、こういう所の人達だから髪型や服装にも大分気を遣っていると見える。さて客層はどうかというとこれもまた若者ばかりであった。そういえば2回の訪問で50代以上に見えるような客を見た記憶が無い。つまるところ若者による若者向けの店である。こんな訳であるから私には入るのがちょっと気が引ける。今回はさすがに初めて行った時程ではないけれどもやはりドアを開けるときの一種の緊張は免れなかった。さて私はまず入口にある受付に行く。この時は2回目であったから初めての時のような煩わしい問診票のようなものもなかったし、平日の午前中であったから2、3分の準備待ちで施術に入ることができた。この僅かな時間の間は窓際に1列に並んだ待合席で待つことになった。椅子に座ると目の前にこれまた1列に本棚が並んでいる。しかしやはりというか私が読むようなものは1冊もなかった。名前の知らない漫画が棚一杯並んでおり、残された一画にはファッション雑誌が無造作に置かれていた。私はこんなこともあろうかと思い持ってきた文庫本を半ズボンのポケットから出して読んだ。2ページも読まないうちに名前が呼ばれた。美容師はこの前と同じ人のように思われた。20代くらいの若い男でくっきりとした顔立ちが印象的であった。私は椅子に腰掛けるなり前髪の長さと全体の長さを聞かれた。私は髪型に特に拘りのない、いい加減な人間であるからこういう時に良い答え方が出来ないので困る。仕方なく普通くらいでと言ったらどうも向こうにしてみれば普通と言われると施術がしづらいらしく、それなら夏だから短めにしてくれと言い直した。私はここまでの一連の流れにおいて些か消耗していた。不慣れなことをするのは疲れるものである。隣の席に中学校1年生くらいであろうか男の子が座ってきた。こちらにつく美容師は30代くらいの茶髪の女であったが眼鏡を外しているから細かいことはどうもわからない。さてその美容師は男の子にさっき私が聞かれたようなことを言った。彼はまだ声変わりのしていない幼い声で、「ツーブロックの前髪長めで」と答えた。これは私にとって衝撃的な回答であった。短めとか長めとかその程度の回答だと思っていた。もっともこれには美容師も一寸驚いたらしく「大丈夫?」と半信半疑で聞いていたが、彼は夏休みで学校に行く機会も無いので大丈夫だと言っていた。私は目を瞑ってこの一連のやり取りを耳をそばだてて聞いていた。どうも私のような緘黙な人種は口の代わりに耳が発達するようである。目を閉じていれば美容師から話しかけられることもない。近くの床屋に通っていた時分は慣れていたこともあって親父さん(といってももう80近くになるから)と適当な話をするのが常であった。毎回同じような話になるのであるが私にはむしろそれが快く感ぜられた。ところがこういうところの美容師とは特に話したいとは思わない。床屋で聞く戦前の山村の話などには惹かれるが若い人の話すことはどれも月並みで興味が湧かない。ここの美容師の技術も悪くは無いし設備もあの古びた床屋より格段に綺麗である。それなら雰囲気が合わないだのなんだのの我儘を呑んで通えばいいじゃないかと言われるだろうが、ここの美容院にはかなり困ったことがある。それは髪を切ったあとに行う肩もみである。よく考えれば髪を切りに来ているのに肩を揉まれるのは奇妙な話である。しかしこの肩もみが冷汗が出るほどに痛い。ようやく終えた頃には痛さでかえって凝りが悪くなったような気がしてならない。床屋はここまで気の利いたサービスはしないがその方がありがたいような気がする。

こういう訳で今度はまた床屋に通おうという気になった。あの昭和の香りの色濃く残る床屋は私にとってちょうど泥水のようなものでお世辞にも綺麗とは言えないがその引換に快適である。引換とは言ったがあの古びた設備は独特の雰囲気を醸し出し、快適さを増幅させるような気がする。懐かしのあの床屋も高齢なのと跡継ぎがいないのとでいつ廃業になってもおかしくない。もしかすると行く機会は残すところ数えるほどなのかもしれない。

篦を免る


楚の国に儒学の大家がいた。字は王、名は泥。数え切れないほどの門弟を抱えていたとの記述が古文書にも散見される。さらには彼のものとされる解釈の多くが後年まで伝わっており、その儒学に残した功績は計り知れない。にも関わらずその生涯について詳しく触れている文献は皆無なのである。この時代はさまざまな人物に関して多くの記録が残されていることを考えると、これだけの大人物のことが殆ど伝えられていないのは不可解極まりない。一体彼の身に何があったのであろうか。私は王泥の謎を突き止めるべくさまざまな史料を漁った。そしてついに、ある一篇の逸話の中から彼の姿を見出すに至った。それについて一寸記しておこうと思う。

王泥は儒家であった。門弟の数は千人を越え、新たに弟子になりたいと言うものが毎日、彼の家の前に長蛇の列をなしたという。彼は大抵その志願者たちに一瞥もくれなかったが、気が向くようなことがあると何人かに話しかけることがあり、その中でも特に気に入った者だけを門弟として認めたという。こういう訳だから彼の弟子になるのは相当困難であったがそれでも諸国からその門戸を叩きに訪れる者は絶えなかった。一体何が彼の人気を作ったのか。定かではないが恐らくはその説明の仕方によるものと思われる。王の元を尋ねる者は知識人層に限らず農民も多数いたという。普通、儒家に弟子入りするのは知識人であることがほとんどであるからこれは異例中の異例である。このことからも王が他の儒家とは一線を画した存在であったことが伺える。さて、彼の解釈の説明方法とは一風変わったものであった。もちろん一般的な儒家のように教室で座って講釈をすることもあったが、それに加えて彼はいわば実験的なことをしてみせたのである。例えばある言葉を唱えながら刀銭を川に投げ込むと雨が降るというくだりがあれば、実際にその言葉を唱えながら銭を川に投げ込んでみせた。そして不思議なことに話の通りに雨が降るのであった。彼はどの実験においても必ず成功してみせた。こういうわけであるから、知識人だけでなく農民たちをも惹き付けたのである。彼は儒家としての才能というよりも一種のカリスマ性に優れており、彼を慕う者もまた、儒家としてではなくカリスマ的な人物としての王を敬っていたのであった。

この日の題材は「篦を免る」の一節であった。これは例えとして引き合いに出された話で、岩の上に胡座の姿勢で瞑想しているところに天から篦が降ってくるのを避けるというものだった。彼はいつものように弟子たちに囲まれてその中央にある岩の上へと胡座をかいた。何時間経っても篦は落ちてこなかった。それでも弟子たちは篦を避けるのを見逃すまいと固唾を呑んで見守った。太陽が山の稜線から姿を消しかかったとき、東から風が駆け抜けた。木の葉が一斉に落ち、砂塵が舞う。王の頭の上に六寸ほどある木の篦が落ちてきたのはまさにその時だった。果たして王はその篦を見事に避け、いつものように弟子からの喝采を浴びるはずであった。しかし彼が篦に当たるまいと動いたとき篦もまた風に煽られてその軌道を変えた。篦は鈍い音を立てて彼の後頭部に当たるとくるくると回って砂埃の舞う地面の上にことりと落ちた。王は篦が当たった所の傷を手で押さえて地面に倒れ込んだ。弟子達は呆気にとられていた。あの王が篦に当たったのである。これまで決して失敗することの無かった王はいま虚しくも地に倒れ込んでいる。日は暮れた。弟子の一人が帰り始めたのをきっかけに、他の弟子達も次々と王の元を離れていった。王の傷は十日程で癒えた。再び講釈を始めるべく講堂へ行った。そこで彼は初めて、あれほどいた門弟が一人としていなくなっていることに気がついたのである。彼らにとってカリスマ性を失った王はもはや無用の長物であった。それからというもの王の生活は荒廃した。白昼から酒を浴びる毎日が続いた。ある夜、狂乱状態に陥った王は大量の薬を飲み死んだという。ここまでで記述が終わっている。死んだ時の年齢など彼に関することは一切書かれていなかった。

大変身

おことわり:いつも以上にふざけて書いた文章です。

47歳の高校教師。既婚で2人の子供がいる。普段は真面目で優しく、生徒からの信頼も厚い。平凡だけれども皆が憧れる理想的な人物。しかし彼には長年人に明かしていない苦悩があった。彼はある日、その苦しみに耐えかねて人知れず大変身を遂げた。彼の普段を知る者はこれから話す変身後の姿を見たら驚くに違いない。しかし、普段は真面目な人物であるからこそこの大変身が可能だったのである。

7月のある日の午後5時。彼は仕事を終え、数学科研究室を後にした。部活の顧問を担当していないため、勤務後はすぐに家路につくのである。学校から家までは約30分。電車に揺られて5駅のところにあるマンションで4人暮らしをしている。彼はいつものように学校の最寄りの下野駅に着いた。改札を入ろうとした時、彼の頭に不思議な考えが過ぎった。

太いシーチキンが欲しい

突如、どこからともなく現れたその想念は一瞬にして燃え上がった。

我慢出来ぬ…

駅の近くのコンビニに入り、ビールと1番大きい缶のシーチキンを買った。それから駅から少し歩いたところにある公園のベンチに腰を下ろした。缶を開け、サラダ油のたっぷり染み込んだ大きな塊を頬張る。

「おいしい。」

顔には確かに幸福の色が見て取れた。彼はあっという間に平らげた。もともと痩せた方ではなかったが。ここ数年の太り方は目覚しいほどだった。服も軒並み買い換えた。これは一つには運動不足があるが、それ以上にストレスに拠るところが大きかった。彼は一見充実した日常生活にどこか不満を持っていた。それが何なのかは分からなかった。この頃はもう楽しみといえば食べることくらいになっていた。ストレスが増えれば増えるほど食べる量も増えていった。

7月の日は長い。ようやく空が夕焼け色に染まりだした頃、彼はまだベンチに座ったままだった。楽しみだった時間が過ぎたあとの虚無感。家に帰ることの憂鬱さ。彼は何か自分にとっての一大事件が起きることを願った。そうすれば俺の生きる意味は確実に変わるだろう。俺はいつも満たされていないんだ。安定した生活がなんだ。そんなもの、楽しくなくては全く意味が無い。何が真面目で優しい教師だ。そんな時ある男が座っている彼に声をかけた。ちょうど彼と同じくらいの背格好で年も近いように思われる。
「あぁ島田か」
その男は島田だった。島田は大学のサークルの同期でよく飲みにいく間柄だった。就職した後も頻繁に会っていたが、40代に入るとお互い忙しく、ここ4~5年は疎遠になっていた。島田は彼の左隣に腰掛けた。話によれば数年前に課長から部長に昇進し、仕事に追われているという。英語が堪能な島田は会社でも一目置かれた存在で英語圏との取引が多いここ最近は特に引っ張りだこであった。
「どうしたんや」
島田は活力のない彼にこう言い彼の右肩に手をかけた。その瞬間、彼は不思議にある感情を抱いた。それはここ最近感じることのなかった充足感だった。彼の顔に笑顔が戻った。
「何がいいんや?」
関西弁が交じるのはあの頃ままである。彼は島田に何かを呟いた。それを聞いた島田は
「Here we go」
と流暢な英語で答え立ち上がった。二人は夕闇に包まれた街の中を、並んで駅の方へと歩いて行く。そして駅の改札をくぐり人気のない13番線ホームの方へと吸い込まれていった。

その後、彼は大変身を遂げたのだがその話はまた後日とさせて頂こう。