ぷもも園

GABANダディー

オッパゲ丼おじさん

 今から大体十五年前の話になる。私は大学生で、学校の近くのボロアパートの一室を借りて暮らしていた。通っていた大学は田舎町の外れにあることもあって、家賃などたかが知れていたわけだが、ご多聞に漏れず貧乏学生であった私にとって毎月の家賃はバカにならないものだった。ましてや自分は写真サークルの部長というまぁ筋金入りのカメラ小僧であったから、レンズ代やら旅行やらで何万という金もすぐに吹っ飛んだ。そういう次第であるから私は学生の本分たる学習もそこそこにバイトに明け暮れた。今回の話はそのうちの一つ、牛丼屋でのエピソード。

 私の働いていた牛丼屋というのは大学近くを通るバイパス沿いにあった。昼間は道路を行き来する仕事人たちでごったがえすこの店も、夜は嘘のようにしんとしていた。これがせいぜい駅前にでもあれば夜中でもぽつりぽつり人が入るのだろうが、デカい道路が一本あるだけであたりを見回しても田んぼや畑や森の広がるこの片田舎ときては、夜九時からすでに深夜の様相を呈するわけである。私のシフトは夜の十一時から翌朝五時まで、一人で会計から調理までこなすいわゆるワンオペというやつである。夜もしばしば客のくる店などはワンオペ=地獄でてんてこ舞いの忙しさと聞いたが、私の勤めていたようなところではそんな話とは全く無縁の天国だった。ボーっと座っているだけで一人の客も来ずに六時間を終えることとてざらにあった。

 さて研修を一通り済ませて働くことになったわけだが、どうやらこの店、夜中に一風も二風も変わった客がたまにやってくるとのこと。その名も「イカキムチおじさん」。でっぷり太った尋常とは到底言い難い腹を持った眼鏡の中年男で、不可解な言葉を使って注文してくるという。幸い毎回イカキムチ牛丼を注文してくるというから、彼が現れたらイカキムチ牛丼を作れば良い。ちなみに不可解な注文をよーく聞いてみるとイカキムチと言っているのが聞こえるという話。とはいうもののバイトを始めて一週間、イカキムチおじさんは一向に姿を現さない。やはりこれは都市伝説の類なのだろう。そうしていつの間にか、私はイカキムチおじさんのことなんぞすっかり忘れていた。

 そんなある夜のことだった。古ぼけた時計が午前二時を示す頃、外から自転車をきぃきぃ言わせながらやってくる人があるらしい。こんな時間にこんなところを自転車、妙だな・・・まさかうちの客だろうか?眠い目をドアに向けた。次の瞬間、視界にのっそりと姿を現したのは四角い顔の眼鏡の中年。腹はでっぷりと膨れ上がり、信楽焼か何かの狸の置物を彷彿とさせる。

(紛れもない・・・”ヤツ”だ・・・!)私は内心こう呟いた。

 イカキムチおじさんは汗まみれの風、こんな熱帯夜の日では暑くて堪るまい。それにしても随分ラフな格好ではあるまいか。風体に似合わずスポーティーな服装が少し可笑しいがおそらく近所の人だろう。おじさんは「おなかへっち・・・」と独り言を言いながら注文で迷っているらしい。定めしイカキムチと思って身構えていると、おじさんは開口一番に

「完全!合体!大きい・・・オッパゲ丼ください!」

と言われてびっくり。あ、え、この人はイカキムチおじさんじゃないのか。いやこのオッパゲ丼というのがイカキムチ丼なのか?

イカキムチ牛丼でよろしいですか?」

「ムーア!オッパゲ丼ください!」

というのを聞くとどうやらオッパゲ丼とイカキムチ牛丼とは違うらしい。そうか、この間新商品が追加されたがあれが確かそんな名前だったなと思ってメニュー表に目を通したもののオッパゲ丼の名は見つからない。

「すみません、オッパゲ丼というメニューはございませんが・・・」

恐る恐るこういう私におじさんは何か察した風

「アー(納得)オッパゲ丼のレシピはチーチッチッチチーズヲ、牛。ニンニンニンニンニンニンニンニンニンニンニン」

おじさんはわかりやすく説明してくれているつもりなのだろうが、言語が異次元すぎて私の頭では全く推察不能だ。それでも頭をフル回転させて考える。チーチッチとはチーズのことか。牛。とは牛丼の意味、だからつまりチーズ牛丼だ。ニンニンは人参サラダだろうか・・・?

「チーズ牛丼並盛りと人参サラダでよろしいですか?」

「もっと大きいのしゃぶりたい(貪欲)大きいのしゃぶらしてくださぁい?ニンニンニンニニンニンニンニン・・・(届かぬ思い)」

「大盛りでよろしいですか」

「ムーアまだ我慢できぬ・・・」

「特盛でよろしいですか」

「あーそこ!そこ!ポアン!」

第一関門クリア。しかしニンニンとはなんだろう。メニュー表を見てふと思いつく。そうかニンニクトッピングのことか。

「ニンニクトッピングでよろしいですね」

「yee!delight!!」

ようやく注文と支払うが終わり調理に取り掛かる。それにしても初めてに限って定番のイカキムチを頼んでこないとは運が悪いのかおじさんの策略なのか、いらぬことを考えつつ調理。

 静かな店内には、当時やっていたアテネオリンピックのテレビ中継の音が流れている。イカキムチおじさん改めオッパゲ丼おじさんはそのテレビの前にどっかりと腰を下ろして食い入るように見入っている。流行りものに熱中しやすいタイプなのだろうか。そう言えば服の下から覗いたおじさんの腕は随分日焼けしていた。すると実際スポーツマンなのかもしれない。

「お待たせいたしました。チーズ牛丼特盛にトッピングのニンニクになります」

オッパゲ丼おじさんは何やら呪文を唱え出した。明瞭さに欠ける音声で発せられたから私には最初のぷももしか聞き取れなかったが、食べる前の儀式と見て間違いあるまい。レジに戻るとオッパゲ丼おじさんの食事タイムが始まっていた。

「太いチーチッチッチーズは、美味しい。あー入ってる!いっぱい入っちゃ!牛。がおいしい✖️玉ねぎがおいしい=我慢できない!ニンニン行くよぉ行く!(ここでニンニク投下)ちゃんちゃちゃちゃんちゃん(ハイテンション)Foo↑!たまらぬ!」

オッパゲ丼おじさんは歓喜を全開にしてセルフ食レポしまくる。体形のせいでもあろうが実に美味そうに食べる。至極満足げな表情を見るに実際美味しいのだろう。調理と言っても一から作っている訳でなし、ここまで絶賛されても・・・という複雑な気持ちだが、まぁ喜んでもらっているのだから悪い気はしない。それにしてもこういう人は食事に限らず趣味も仕事も、何でもとことん熱中して楽しむ性格だろう。

 ところでこのおじさんは何者なのだ。さっきは地元住民と即断したがよくよく考えるとこの周りには学生向けの寮やアパートがあるばかりで民家はほとんどない。この裏は森だ。もしかするとそこらへんの狸が人間に化けてきたのではあるまいか。そうするとあの不思議な腹にもおのずから説明がつくというものである。はっとしておじさんの方を振り向くと、私のくだらぬ心配など御構い無しに、目の前のチーズ牛丼否オッパゲ丼に没入している。

「ちょっちょっちゃください!」

またも不可解なご注文だがこれは予習済み、このおじさんは食後にお茶をおねだりするという。食後の休憩を存分に済ませ、ゆっくりと立ち上がったおじさんは私に

「太いシーチキン!うーん最高!」と言い残して店を後にした。言いたいことは相変わらず意味不明だが、大満足のご満悦のご様子を見るにきっと高評価という意味なのだろう。わずか数十分の出来事であったにも関わらず、この接客にはパワーを要した。いやほんま。

 

 その後オッパゲ丼おじさんは度々現れた。毎回同じものを頼んでくれるので、宇宙言語の相手をしなくて済んだのは幸いだった。オッパゲ丼、これはおじさんの摩訶不思議なネーミングセンスによるものだがよくよく考えてみるとなかなか悪くない。チーズ牛丼特盛にニンニク、このガッツリ感がオッパゲという表現によく出ている。もっと言えばチーズとニンニクというチョイスが絶妙である。一度私はこの不可思議な丼を食べてみた。まろやかでクリーミーなチーズとパンチの効いたニンニク、こんな名コンビが他にありますかいな。こうして私ゃすっかりオッパゲ丼の虜になってしまったのです。

 

 夏休みが終わって大学が始まった。ふと興味が湧いて考古学の授業の教室の扉を開けて教壇をみるとびっくり、そこに鎮座していたのは紛れもなくあのオッパゲ丼おじさんだった。あのオッパゲ丼おじさんが教授なのか。どんな顔をして教えているのだ?不安と好奇心の入り混じる私をよそに話し始めたオッパゲ丼おじさん失礼、我馬 緩次郎先生は実に明瞭な言葉で真面目で優しい教えぶり。普段と裏の顔の落差が激しいほど人は嬉しい。私とて例外にあらず、すっかりこの不思議な教授の魅力に捕らえられてしまった。

 

 私は我馬先生の考古学教室に足繁く通うようになった。研究室は実にアットホームな雰囲気で、我馬先生はダディー先生のあだ名でみんなに慕われていた。私もこの雰囲気が実に気に入り、二年からは考古学部に編入することとなった。この大学の金お艶には縄文、弥生期の遺跡が全体に分布しており、ダディー先生はこの分野ではその名を知らぬものの無い第一人者なのだ。ダディー先生と学生たちはこれらの遺跡の発掘に日々勤しんだ。夏は皆真っ黒になってラフな格好、首にタオルを巻いて作業しているものだから、スポーツの一団と間違えられることも一度や二度ではなかった。調査が終わって研究室に戻り、採取した資料を整理して一息つくともう深夜、そんな時にはダディー先生と学生たち連れ立って牛丼屋に行った。無論みんなオッパゲ丼である。我々学生たちは真面目で優しいダディー先生のもとに楽しい学生生活を送った。4年間はあっという間に過ぎた。私は考古学科を卒業した。その後もダディー先生とは付き合いがあったのだが、十年ほど前に定年を迎えた先生は郷里に帰り、そこからは自ずと連絡が疎になってしまった。しかし今だにダディー先生から学び、教えてもらったこと、思い出は私の中に生き、毎日を潤し続けている。それからもう一つ、私は今だに、牛丼屋に行くとオッパゲ丼を頼まずにはいられないのである。