ぷもも園

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ガバの木と海のある街で(連載第四回 没稿) 未完成作

 

 

某年7月。

 

 私はこの時8歳で小学校2年生になっていた。この小さな街には今はもう廃校になってしまったが小学校、中学校が一つずつあった。今とは違って子供が多かったから小さな小学校は児童たちで溢れかえっていてそのうち第二小学校ができるという話まであったくらいだった。小学校低学年の頃の記憶はほとんどと言っていいほどない。私はこの頃もなおテレビアニメに入り浸っていた。一番のお気に入りはやはり「家族ができるよ、やったぜ。どかちゃん」だった。放送4年目になるこのシリーズは私と同世代の子供たちからの絶大な支持を得ていた。私が小学校2年生の時の放送されていたのは「やったぜ。どかちゃん 岡山ドバーランド編」だった。これはシリーズの中でも最高傑作の呼び声高い名作で広大な敷地を有する岡山の県北を舞台に巨大テーマパークが築かれるまでを克明に記録したドキュメンタリーチックなものだった。

 

 夏休みがやってきた。この街の子供たちの夏休みの遊び場は決まって海だった。広大な砂浜は100人以上の人が来てもまだ空いていて、観光客も滅多に来ないところなんでそこでしこたま遊ぶことが可能だった。私の家からこの浜までは5分もかからないくらいだからアニメが無い日などはそれこそ朝焼けの頃から水平線に陽が沈むまで遊び通したものである。遊ぶ相手は大体クラスの友達だった。帰るときに明日の集合場所を口約束するのが日課になっていた。しかしいきなり砂浜に集まるのでは何分に人が多くてわかりづらいとのことで集合場所は大抵あのガバの木だった。その大木は推定樹齢1941.9年に垂んとする。ガバの木に触ると祟りがあるという迷信が大正の末あたりから広まったおかげで木の周りには高い鉄条網が張り巡らされていた。しかし1月9日の祭りのときにだけはこの柵に付けられた扉が開けられ、宮司たちがこの木に新しい注連縄を巻く儀式を執り行った。私はガバの木がそれほどの祟りをもたらすほどの神威を帯びているようには思えなかった。確かに大木ではあるが、今ひとつ神々しさが感じられなかった。事実、この頃になるとこの木に関するあらゆる迷信が忘れ去られてきていた。私のように祖父から我馬伝説やらを耳にたこができるほど聞かされたというのは稀な例で、ほとんどの子供たちはその木の名前を知っているのがやっとという程だった。