ぷもも園

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神話として「ガバ穴ダディー」を読み解く(第1章)

 

「ガバ穴ダディー」は神話ではないのだろうか・・・

 

本編に関する論考を重ねる中で私はこのような想念を抱くに至った。ガバ穴ダディーは一介のホモビ男優ではない。彼には人々を惹きつけて止まない一種の魔力のような物が備わっている。それはまさしく数多の神話の主人公が持つ魅力と似通ったものである。しかし、どれほど魅力的な主人公であっても相応しい舞台や共演者が用意されていなくてはその魅力を十全に発揮することは出来ない。一流の主人公には一流の脇役が必要なのである。ダディーは幸運なことに一流の脇役すなわち島田部長とコブラ三木谷に巡り会った。なおここでの一流というのは必ずしも良い人物を意味しない。一流の脇役はあくまでも主人公を引き立てる役に徹さねばならぬ。悪い人物であろうと、主役を引き立てることができているならばそれは一流に他ならない。つまり島田のようなシーチキンの細い人間もダディーのシーチキンの太さを対照的に示しているという点で一流と言える。このようなダディーの持つ魅力とそれを引き立たせる脇役の存在は「ガバ穴ダディー」を単なるホモビではなく一編の神話へと昇華させている要因であるように思われる。本稿では以上の議論を踏まえ「ガバ穴ダディー」を神話とみなした上で新たに見出された解釈について述べていく。

 

一章:コブラ三木谷の意味するもの

まず初めにコブラ三木谷という登場人物について述べる。コブラは中盤以降に登場し、ガバ穴ダディー、島田部長とともに天地創造を行う。ここで注目すべきは「コブラ」三木谷という名前である。このコブラは東南アジアに生息する蛇コブラを意味していると思われる。蛇は洋の東西を問わず様々な神話に登場する動物であり、あらゆる動物の中でもこれほど特別な意味を付与されたのは稀有な例であろう。神話において蛇が重要な役割を担う例を挙げるならば日本では古事記や日本書記が挙げられ、さらに西洋に目を向ければ旧約聖書を筆頭に枚挙に遑がない。神話以外にも蛇は「死と生」などの象徴として信仰の対象になる例が少なくない。またその姿形から男性器や剣を意味する場合がある。

 

ガバ穴ダディーにおける蛇、すなわちコブラ三木谷は男性器を象徴していると考えられる。これはコブラ三木谷の別名が竿師であることからも明白である。冒頭のリング装着のシーンは、輪をくぐり抜けていく蛇の姿を思わせる。コブラ三木谷はダディーを掘ることで活躍するが、これは蛇の「生」という属性を暗示している可能性が高い。ダディーの丸い腹は肥沃の象徴でありその形は妊婦を連想させる。つまりダディーは母なる大地の象徴であり、コブラはそこに蛇として入っていくことによって大地に生を付与していると思われる。しかしその生はコブラによって死を齎される。コブラは猛毒を持つ蛇として知られ、象をも死に至らしめると言われている。先に述べたように蛇は生の象徴であると同時に「死」の象徴でもある。コブラが発射するシーンはこの猛毒をダディーの腹、すなわち肥沃な大地へと掛けることを意味している。肥沃な大地に降り注ぐ毒の雨は生まれたばかりの生を無情に奪ってゆく。そうであるから発射シーンの後にはこれまでのうるささとはうって変わった静寂(無論これは死を意味している)が訪れる。

「ガバ穴ダディー」は創世と破滅の物語なのである。